[小説、漫画、映画の思い出]
【電気ショックのイヌの目】(やる気の科学第4巻参照)
イヌさんが電気ショックを流されて、電気ショックから逃げられない状況を一度学習すると、たとえ逃げ出せる状況でもやはり耐えるだけになってしまう。
この実験を「やる気の科学第4巻」に取り上げました。
「随伴性認知」です。一度、「何をしてもムダ」「あきらめ」を学習してしまうと、もう、ただじっと黙って耐えるだけになる実験です。
むかし、むかし、そのむかし、実はこの実験について取り上げたテレビ特集を大学生の時に見ました。
ショックを受けましたね。
特に実験を受けるイヌさんたちのあの”目”です。実験の最初は「キャンキャン!」「ワンワン!」そりゃもう、にぎやかなんです。
それが、後の方ではぶるぶる震えるだけで、あの”目”です。
あきらめだけを宿す、あの”目”です。
そのときの大学生の私にはこの実験の意味をしっかりとは理解できていませんでした。「ああ、かわいそうだなぁ・・・」「ひどいなぁ・・・」ぐらいの印象です。
われながら浅はかなものです。若いとはアホなものです。
【アウシュビッツのユダヤ人の目】
そして月日が流れたある日、同じようなあの”目”に出くわしました。
第2次世界大戦中にあったポーランドのアウシュビッツ収容所の様子を撮影したビデオと写真です。
金歯の山と髪の毛の山が映っていました。
殺した人の金歯の金は貴重なのでナチスドイツの親衛隊はとっておきます。
髪の毛も軍服を作る繊維になるのでとっておきます。
要らないところは捨てます。
人間がただの「原料」にされています。
究極の資本主義ですね。
そして、写真の中で幸運にも助かった、ボロボロの人たちがあのイヌたちと同じ”目”をして、たたずんでこっちをじっと見ています。
ビデオよりも、この時は動かない写真の方が恐ろしかったですね。
【 映画 セイヴィア(SAVIOR) 】
そして、また月日が流れて、ある映画を見た時にあの”目”に出くわしました。
オリバー・ストーン監督の名作「セイヴィア(SAVIOR)」です。
オリバー・ストーン監督としては、あのアカデミー賞受賞の名作「プラトーン」に並ぶ傑作です。
時と場面は1990年代初頭です。
主人公の男はパリのアメリカ大使館に勤めています。そして妻と子供をイスラム過激派に殺され、主人公はその犯人を射殺します。
そのままでは逮捕されるので外人部隊に志願して 内戦の真最中のボスニア・ヘルツェゴビナに行くことになります。
旧ユーゴスラビアの内戦の最中、「民族浄化」という恐ろしいスローガンのもと大量レイプ、大量殺戮が行われていました。
その最中、イスラム教徒による望まない妊娠を強制された女性を兵士から助けます。
その後、女性の出産を助けておおわらわ、そして赤ちゃんを連れた若いお母さんと戦場を何日も、あちこち逃げ回ります。
しかし、とうとうお母さんは兵士につかまってしまいます。
そしてお母さんは兵士の命令でたくさんの人たちと共にぞろぞろ列を作って処刑場に歩くことを強制されます。
処刑場とは言ってもただの湖のほとりです。主人公の男は近くにあったボートに赤ちゃんを抱えて隠れます。
そして兵士は並んだ人、一人一人の頭を順番に実に楽しそうに“こん棒”で殴って殺していきます。
銃殺などという高価な手段は使いません。
切り殺すなんて高等な手段も使いません。
弾薬の節約なのか、めんどくさいのか、はたまた殴って殺すのが兵士にとって、単に楽しいのかわかりませんが棒で殴って殺すのです。女子供、年寄関係ありません。
ボートの中で赤ちゃんは異様な雰囲気に気づいて泣き声を上げそうになります。
虐殺の列の中で、お母さんはそのことに気づくのでしょう。
子守唄をうたいます。
すさまじい気力です。
美しい歌声です。
そして次の瞬間、子守唄は途切れます。
恐ろしい恐ろしい場面です。
今でも思い出して涙がこぼれます。
このシーンの中の殺されるために並ぶ人々の目がイヌと同じ”目”でした。
ただお母さんだけは気力を振り絞って子守唄を歌い上げます。
絶望の中でも今できる最高のことを行います。
【いじめるもの(加害者)の愛と安心】
「やる気の科学」とも「教育」ともまったく関係ありませんが、こん棒を思う存分振るった後、満足した兵士は偶然見つけた子猫を抱き上げてほおずりします。
このシーンも忘れられない恐ろしい場面です。
わたしにはいじめるもの(加害者)の心理が垣間見えるように思えます。
いじめるもの(加害者)は絶対安全な場所にいて、愛を楽しみます。
いじめるもの(加害者)には安全、楽しい愛が必須のように感じます。
【私のいじめの思い出】
いじめられたもの(被害者)には最近は「かつていじめられていました」といわゆるカミングアウトが当たり前になっています。
少々商業主義なにおいさえある場合もあります。
ただ、いじめるもの(加害者)についてはあまりカミングアウトがありませんねぇ。
ただ、ばれてしまったら、ものすごい非難、いわゆる炎上が起こります。
東京オリンピックの演出にたずさわる者がうっかり口を滑らしていじめをしていたことをばらしてクビになりました。
ところで、私もいじめた経験があります。
小学生のころ確か3年生、4年生の時に女子にむかって「汚い顔して」と言ったことがあります。
「忘れ物をしないクラスを目指して」という美名のもと教室の後ろの黒板に個人名をかいて、忘れ物をするたびにその個人名に印をつけることを教師が思いつきました(やる気の科学でとりあげた罰(ムチ)です)。
私の名前にはみるみる印が並んでもう書き込むスペースはありません。
その子は学級委員で忘れ物を取り締まる役目を教師からおおせつかっていたのでしょう。忘れ物を連発する私に業を煮やして食って掛かってきたました。
それに対する売り言葉に買い言葉が「汚い顔して」です。
まぁ、今も昔も頭の悪い私にできる悪口はこんなところです。
まずいことに周りの男子も「汚い顔」とはやし始めるではありませんか。
彼女はわんわんと泣き出しました。 驚いた私は黙り込むしかありません。
その瞬間、居合わせた女子は私を猛然と非難します。
学年で一番のチビだった私には恐ろしい光景でした。
翌日、教師から殴られました。
私はその後、女の子の顔を非難することはなくなりました。
教師から殴られるのは日常茶飯事だったのでどうでもよかったのです。(ただ、そのあと教師が母親にいちいちチクるのはむかつきました)
ただ、女の子がわんわん泣くことと、女子の集団力は恐ろしかったですね。
炎上とはこういうことを言うのでしょうか?
炎上とは恐ろしいものです。
そして人生の早い段階で炎上を経験した赤間塾のヤナギは幸せ者でした。
【カムイ伝】
閑話休題。私の評価するマンガの一つに白戸三平の「カムイ伝」があります。江戸時代の下層階級である非人(このマンガでは穢多(エタ)も非人で表しているようです)と下人(百姓より下、非人より上、自分の田を持たない者)、そして百姓の日常生活と武士を含んだ細かい身分制度における様々な出来事を描いた作品です。一番のテーマは百姓一揆ですが、この一揆も一過性のもので、江戸時代という強大な身分制度にはすべての尊い犠牲も無駄に終わります。付け加えれば武士にもこの身分関係は重くのしかかります。この作中でも武士を含む各階層で無理難題にあっても、そのあきらめきった”目”が印象的でした。
「カムイ伝」には第1部と第2部があります。ここでは第1部のことを指します。第2部は無理に時間をかけてまで読む必要はありません。「カムイ外伝」はまぁ、よかったらお読みください。